1980年代ころのことです。翻訳者と通して、サウジからの留学生と知り合いになりました。本人が言うには、日本のどこの大学でも留学できるからとリストを貰い、「Tokyo」より「Japan」が良いだろうということで日大に通っていました。金満国のイメージでしたが、アパートはいたって普通でした。本はほとんどありませんでした。その後、当時の翻訳者が、その留学生の親戚だという人から借りたといって、ランボルギーニに乗って事務所に現われました。やっぱり違うものだと感心した覚えがあります。